「飛行機代は貸さない」 お金と共に消えた母(馬 英華氏の経営者ブログ )

(馬 英華氏の経営者ブログ 2016年7月1日版)

東京エレベーター馬英華 中国大連での写真みなさんはバルザックの小説「ウジェニー・グランデ」をご存じでしょうか。19世紀フランスの田舎を舞台に繰り広げられる、想像を絶するケチな老人グランデとその娘をめぐる小説です。ワインとたるの商売でひと財産築き、その地方の名士にのしあがったグランデ老人。お金のことで妻や娘を虐待するほどのすさまじい守銭奴ぶりが圧巻です。中国でいつだかドラマ化され人気を博しました。「あの人グランデみたい」というと、どういう人か、みなわかります。

私の母は、「グランデ」そっくりでした。お金にとりつかれていたのです。男尊女卑の考えに染まっていたこととあいまって、母は私によく「土に水をかけるようなものだ」と言いました。つまり「女の子にお金をかけても無駄」という意味です。田舎でしたし、確かに、義務教育の中学を出れば女性はすぐ結婚するような時代でした。どんなに手塩にかけても、女は結婚するとなると家を出てしまう。母にすれば、私にお金をかけるのは論外だったのです。愛情の対象というよりは、家事をやらせる役立つ道具として見ていました。

反対に、弟は男ゆえ、我が家の期待の星として親の愛情をたっぷり受けてかわいがられました。彼が大学にさえ入ればよい。そうなれば親として自分の将来は安泰。年を取ったら、息子についていけばよい。そう家族の前で言うのが口癖でした。この点は父も同じ考えでした。私と弟に対する両親の態度は、明らかに違っていました。

母は私が高校生くらいのときまで「このふとんはいくら」などと言って、私が使っていた生活日用品の値段をメモしていました。私の面倒を見た見返りに、後に、私が返済すべきお金として、記録を取っていたわけです。「返して、このお金。1円でも。貸したのだから返して」。私にかけたお金は、びた一文たりとも回収せずにはおかないという母の無言のメッセージでした。

母の「ケチ」ぶりは筋金入りでした。私の高校は自宅から遠くにあり、寮に入って暮らしていたので、多少の生活費はどうしてもかかります。でも食事代や洋服代など必要な出費でも、ろくに払ってもらえません。そのため極限まで節約を迫られました。3年間を通し、1食、日本円にすればたかだか100円くらいの食費でしたが、寮で夕食が食べられませんでした。前の回で触れたように、我が家は石炭ビジネスで収入が多く、経済的には他の生徒たちより恵まれていたにもかかわらずです。「なぜこんな生活なんだろう」――心はずたずたといっていいほど傷つきました。どう考えても理不尽で、母の考えるお金の価値や使い道について深い疑問を持たざるを得ませんでした。

母の異常なまでのお金への執着心は、とうとう、私が来日する直前に大きな事件を引き起こしたのです。

■「すぐ中国に逃げ帰るに違いない」

大学4年生になる直前、私は来日を決め、その準備に取りかかっていました。ビザを取るために必要な推薦状を得ようと大学の担当者と交渉していましたが、うまくいかず、ついには学長に直談判して、ようやく日本行きの機会を手に入れたその後です(以前の回で触れました)。ビザは下りたら、3カ月以内に出国しないと失効してしまいます。すぐにも日本へ行くための飛行機のチケットを入手しないといけません。代金はざっと4500元。今のレートなら大体10万円弱です。当時の父の月給が約60元だったことを考えると、75カ月分にもなります。当時の中国の貨幣価値から考えれば、天文学的な額でした。

さすがに大学生にそんなお金はありません。家族には留学のことを伝え、チケットの代金は母から借りようと思っていました。母が我が家のお財布を握っていたからです。大金ですから当然、余裕をもってお願いしていました。最初、母はいいとも悪いとも言いませんでした。日本行きの話をまともに受け止めなかったのです。私は私で、母はもろ手を挙げて私の日本行きに賛成ではないけれど、さりとて、めったにないチャンスですし反対もしないだろうと、てっきりそう思っていました。一方、父は私の日本行きに賛成で、「英華は度胸があって頭もいい。日本へ行ってチャンスをつかむべきだ」と言ってくれていました。

ですが母から「貸すよ」という承諾もお金の話も一切なく、日々が過ぎていきます。早くチケットを買いたいと私は焦り出しました。何度か依頼したのですがはっきりした返事がもらえません。もうあと1週間くらいで中国を飛び立つというころ、これ以上待てないと思い、寮から実家へ戻り、母に面と向かって「お金を貸してください。日本へ行った後、必ずお返しします」と、改めてお願いしました。

母はきっぱりと言いました。「異国に住むのは大変なこと。あなたはきっと耐えられない。音を上げて、1年もしないうちに中国に逃げ帰ってくる。何も得ずに……。投資に見合わない。だから私はお金を貸さない!」

あまりのことに血が引きました。出発の日は迫っています。でも本当に驚いたのはこの後でした。なんと、母が失踪したのです。お金とともに。

■死にかけたバイク事故

私の家は「万元戸」になっており、とても裕福でした。お金はたくさんありました。それを一手に管理していたのが母だったのです。私の記憶では、つぼに預金の証書のようなものを入れ、庭に埋めていました。大金は銀行に預けず、自分たちで管理していたのです。

その日、母の姿がありませんでした。いくら待っても、母は帰ってきません。父もさすがに、まとまった大金が要るという事の重大さを理解し、私と一緒に母が行きそうな友人の家へ探しに行きましたが、いない、知らないと言われるばかりです。父はそのつぼを管理しておらず、どこにあるのか見当もつきません。

私と父、妹の3人で家捜ししました。家の中はもちろん、埋めたらしいので庭をあちこち掘り返したのですが簡単に見つかるわけもありません。日が落ちて、あたりが暗くなり始めました。外での「捜索」は打ち切ることを余儀なくされました。

「こうなったら仕方がない。大丈夫、心配は不要だ。お父さんと一緒に、お金を借りに行こう。信頼できる友人がいる」。夜7時、8時を回ったころでしょうか。父が切羽詰まった様子でそう言って、出かける準備を始めました。父の目はぎらぎらし、火花が散っているようでした。父の乗ったバイクの後ろに座り、家を後にしました。行き先は、父が信頼する友人の家。その人物しか急に用立てしてくれる人物はいなかったのでしょう。どのくらいの距離があったのか覚えていません。

暗闇に沈む道を、父はスピードを出して走ります。オオカミが出るほどの田舎ですし、もちろん舗装されていません。黄砂と砂利の道です。ライトに照らされた道は黄色く、乾いていました。どのくらい走ったでしょうか。対向車線に、黄砂を巻き上げてトラックが向かってくるのがわかりました。私たちのバイクも、トラックもかなりスピードが出ていました。何か重量のある荷を積んでいたトラックは轟音(ごうおん)を立てて、黄砂でかすむ前景から抜けだし、あっという間に大きくなりました。

視界は黄色い砂で遮られ、ぼやけた大気を引き裂くようなライトが非常にまぶしかったのを覚えています。私たちのバイクは、吸い込まれるようにトラックの車体に寄ってしまいました。「あ、ぶつかる!!」

その瞬間、光がはじけたように感じました。バイクは一瞬空中を舞い、父と私は放り出され、道にたたきつけられました。体が何度か、砂利道を回転しました。私は死んだのかしら……? 意識が遠のき、少しの間気を失っていました。

「えいかー、えいかー、大丈夫か」。父が私を呼んでいる声が聞こえました。ああ、生きている。安堵しました。「大丈夫」と声を出し、父を安心させました。自分の体を見ると膝から血が出ています。顔をぬぐうと、どうも顔のどこかから血が出ているようだとわかりました。

それより父も私も黄砂の上をごろごろ転がったわけですから、まともに砂をかぶり、全身砂だらけ。服をはらうと、もうもうとほこりが立ちました。でも、私たちの命をとりとめたのはまさにその黄砂でした。やわらかく、道にたたきつけられたときの衝撃を和らげてくれたのです。これが舗装されていたらひとたまりもありませんでした。

頭の回転が鈍っていましたがなんとか起き上がりました。父もゆっくり立ち上がり、バイクを起こしました。あちこち打撲したようでした。トラックの運転手は接触で驚き、車から降りてきて「大丈夫ですか。病院へ行きましょうか」と聞いてくれました。少しけがしていましたが「私たちは大丈夫です」と断り、先を急ぐことにしました。

■私のために頭を下げた父

接触事故で受けたショックも冷めやらぬまま、体を引きずるようにして二人でバイクに乗り、父の友人宅へ再度走り出しました。目的の家にたどり着いたのは、午後9時か10時ころ。扉をノックして、家の人が出てきたときの驚きよう。「いったいこんな時間に、あなたたち、その格好はどうしたのですか?」。私たちはほこりにまみれ、血だらけだったのです。

夜8時ころには人々が寝てしまう田舎です。それが夜も更けたころ、父と私が明らかに尋常ではない様子で立っているので、ただならぬ用事で訪ねてきたに違いないと察知したその方は「私が助けられることがあれば言ってください」と父に言い、家の中へ入れてくださいました。その家のご夫婦は、すでにパジャマ姿でした。まず、けがの手当てをしてくれました。いすに座ったときに初めて痛みが襲いました。それまで頭がぼんやりして、痛みの感覚がなかったのです。

「この子を助けてください」と父が切り出し、頭を下げました。「どうかお金を貸してください。すみませんが急いでいるんです。必ずお返ししますから」。父はプライドが高く、今まで人に頭を下げ、お金を借りたことがない人でした。その父が、私のために深々と頭を下げ、人に借金しようとしているのです。そんな父を、生まれて初めて見ました。

助けを求める理由――妻がお金を使うことを拒否していなくなったため、保管場所がわからず、娘のチケット代を払えない。出発の日は迫っている――を父が説明しました。そのご夫婦は、私たちが裕福なのを知っていたために非常に驚き、「まさか奥様がそんなことをするとは! 失礼ですがこのお嬢さんは、奥様が産んだ、あなたの本当の娘さんですよね。養女ですか?」と質問されました。「養女ではなく、確かに私の娘です」。そんなやりとりを聞いていると、何を言ったらいいのか、私はわからなくなりました。

その方は了承し、親切にもその場で現金を渡してくださいました。日本へ行くための飛行機代を、すんでのところで確保したのです。その方へはもちろん、頭を下げた父に対し、ありがたさが身に染みました。

ありがたさとともに、悲しさも胸に広がりました。また、母のお金に対する執着心がいつか何かを引き起こすだろうと前から懸念していたので「私が思った通りだった。やはり、母はそういう人間だった」と自分の認識が正しかったとも思いました。

後で聞いたら、父はこの騒ぎが恥ずかしいやら情けないやらで、やるせない思いをしたそうです。母に対して、私よりもショックを受けていました。交通事故については、「怒りでよく前が見えなかった」と言っていました。子供が勉強するためにお金を必要としているのに、妻が、そのお金が回収できないといって隠れてしまうという行為が許せなかったと。怒りがおさまらず暗い道をバイクで走っているときにトラックから強いライトを当てられて、目がくらみ、運転のコントロールを失ったそうです。


母は結局、私が日本へと飛び立った後、けろりとして自宅へ帰ってきたそうです。友人の家に隠れていたそうです。つぼの場所も、私にはついにわかりませんでした。

お金が家族よりも大事、まして女の子にはお金をかける価値がない。次回、こんな考えの母と私がどのような関係だったか、もう少し前にさかのぼってお話しします。

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